栗原 研一 氏(QST那珂核融合研究所 所長)

 我が国の第二段階核融合研究開発基本計画の中核装置であるJT-60は、装置ミッションである臨界プラズマ条件を1996年に達成し、トカマク型核融合装置が、持続的子核反応を高効率に起こす手法として成立 し得ることを実証しました。
 JT-60が計画された1975年頃は、大規模核融合装置建設自体が、先進各国(日米欧ロ)でも未経験のプロジェクトとして手探りの中で進められていました。JT-60では、まず当時実績のあった原子力発電所建設プロジェクトの管理調整技術を、核融合プラントに適合させていきながら、同時に核融合独特の部分を適宜追加していく方法で進められました。構成機器の発注のための分割では、シンプルな取り合い条件になるよう配慮されました。
 さて製作の最終段階では、これら各構成機器を機械的・電気的な観点に加え、機能的に着実に組み上げて行きました。これも前例がない中で、異なる組織の関係者が一体となって協力し合い、2年を超える試験期間をかけて、仕様通りの性能を確認した後、1985年4月JT-60のプラズマ初着火を実現しました。ここでは、大規模核融合装置JT-60ならではの困難と克服の例を紹介しながら、未来展望を試みます。



三間 圀興 氏 (光産業創成大学院大 特任教授)

レーザー核融合は,1960年のレーザー発明により磁気核融合に遅れること十数年核融合研究に仲間入りしました。以来半世紀に渡り努力が続けられています。トカマク同様レーザー核融合も点火をめざす所ところにまでたどり着いております。このインフォーマルミーティングが"Inspire the next"になることを願っています



東井 和夫 氏(核融合科学研究所 名誉教授)

「NIFS設立とLHD建設」
1980年代半ばごろから名古屋大学プラズマ研究所、京都大学ヘリオトロンセンター及び広島大学プラズマ理論研究センターを統合して新たな核融合関連の新研究所設立の議論がはじまりました。1989年に核融合科学研究所が発足し、トカマク装置ではなくヘリオトロン型の大型装置LHDを建設し、「トーラスプラズマ閉じ込めの総合理解」を目的としてLHD計画がスタートしました。1998年にLHDのファーストプラズマ生成後、閉じ込め研究が本格的に始まりました。このインフォーマルミーティングでは、新研究所での主計画がLHDと決まった経緯、各研究所からの人材移動、LHD実験開始までの状況等を振り核融合科学研究所の当初の目的・目標はどう実現され、あるいはどう変貌していったか。私見を紹介し、今後の核融合研究におけるLHDと核融合科学研究所の役割について若手の皆さんといろいろ考えてみたいと思います。